死をどう受け止めるべきか

若い頃は、人間はいつか死ぬ…なんて全く考えなかった。小学生ぐらいで、死んだらどうなるんだろうと怖くなった事はある。けれど、病気になったり、回りの人間が死んでしまうという出来事が起こるまでは、現実味を帯びない。いつかそうなるといった漠然とした思いだった。それが、年を重ね、子供をもつ親となり、親兄弟が老いていく様をみていくうちに、いつか…ではなくなり、近い将来になってきてしまう。

元気だった親が確実に老いていく現実をしっかり受け止めていかなければならない。私は、両親に恵まれた子供だと思う。特別な苦労はせず、学校にも不自由なく通わせてもらった。愛情もたっぷり注いでくれたと思う。仲間にも恵まれた。友達に大きく裏切られた記憶もないし、恋人にこっぴどくフラれた事もおそらくない。

大金持ちでもないし、仕事で大成功をおさめたわけでもないが、ごく普通の幸せな人生だと思う。だから余計に、この世から去る覚悟なんて出来そうもない。どう受け止めるべきか、もう少し時間がほしいと思う。

幼虫か、それともコオロギか。

先日、子供達が話していたのを聞いて、私自身が真剣に考えた事がある。それは…もし幼虫か、コオロギのどちらかしか食べ物がなければ、どっちを食べるか?というものだ。以前テレビで、幼虫を食べた人が、コーンスープのような味だと言っていた。世界のはてまで…でイモトが生きたコオロギを食べているのも見たが、もちろん、美味しそうではなかった。

想像してみて、完全にどっちも無理だと思ったが、子供達は話し合いの結果、コオロギだと言っていた。どちらにせよ、生…踊り食いじゃなければ…からっと揚げて、形が分かりにくくなれば食べれるかもしれない。そんな状況になった時点で、かなりのサバイバルだから、どっちも美味しく食べれるのかもしれないなぁと思いながら、唐揚げを揚げた。

幼虫も、コオロギも、どこかの国のどこかの民族が、普通に食べているわけだから、今の自分は恵まれているんだと感謝しながら、今日も美味しいご飯をいただこうと思う。

ドラえもんの道具を1つもらえるなら

子供の頃、ドラえもんが友達だったらな…と思った事があると思う。友達と「ドラえもんの道具を1つもらえるなら、どれがいい?」といった会話をした事もあるのではないだろうか。その答えは、間違いなく「どこでもドア」だ。タイムマシーンもありだけど、過去や未来を変える事がいいとは思えないし、未来を見る勇気もない。

タケコプターも一度は使ってみたいが、現在の自分の体重を考えると、100%安全なのかと不安になる。透明マントは犯罪しか思い付かない。他にも色々あるが、どこでもドアがあれば、旅行だってただで行けるし、遠くの友達にもすぐ会える。誰かがピンチの時も、すぐ駆けつけられるのだから、すごい便利だ。実際、そんな便利な物を持ってしまったら、努力する事を忘れて、怠慢になってしまいそうだが、ありもしない世界を思い描いて、空想の時間に浸るのも、悪くないと思う。